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ラプラスの書 §3-5

はい、もう覚えている人がいるかどうかもアヤシイこのお話。
年末年始のまとまった休みでようやく一話分進めることが出来ました。
生きてるうちには完成させたいですねw

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贖罪のカルネアデス 
    【5】
 市営バスの車体がくたびれたアスファルトの段差にあわせて時折ガタガタと揺れる。
 夕方にはまだ早い時間の車内に人の数は少なく、温めの冷房が良い感じに眠気を誘ってきて、俺はいつの間にかウトウトとしていた。
 外から差し込む光がぼんやりと車内を照らして、まるで思い出の中をさまよっているような、そんな気分がしてくる。
 ああ、今日は疲れたなぁ。
 結局はるかは泳げるようにはならなかったし、リサイクルショップでようやく機嫌を直したと思ったら、またすぐにヘソを曲げるし。
 まあ、目的のモノは手に入ったから、これで明日は何とかなるだろう。
 そんな風にとりとめなく今日一日を反芻して気怠い体をバスの揺れに任せると、ゆっくりと視界に靄が掛かってきて、俺はそのまどろみの中をなにを思うでもなく意識を浮かばせる。
 誰かが動いた気配がする。
 まあ、このバスの中には俺とはるかしか乗客はいないのだが。
「ゆーくん?」
 はるかが俺の名前を呼んだような気がする。
 それでも、俺はもう眠気にまかせるまま半分ぐらい意識が沈んでいる。
 はるかはどうやら、俺の顔をじっと見ているらしい。
「……」
 やがて、その気配がどんどんと近づいてくる。
 もう、鼻と鼻が触れるか触れないかという距離――
 
 俺はそこでパッと目を開ける。

「っ!」
 ガシッ、と両手でその何者かの頭を掴む。
「トレミー!?」
 目を開けた俺の視界のほとんどを唇を突き出したトレミーの顔が占めている。
「んーっ!わたしもユークリッドとキスするのーっ!」
 そのままトレミーがジタバタと暴れながら全体重をかけて顔を近づけてくるが、俺も腕力をフルで発揮し必死にトレミーの顔を押し戻す。 
 昨日トレミーが意識を取り戻した後で生体人形をコントロールする魔術を導入してもらい、再びトレミーは自由に活動することが可能になった。
 ―のだが、意識を取り戻すキッカケとなった『俺のはるかがキスをした』という事についてトレミーはかなり執着しているようだった。
「ぶー」
 トレミーはジト目で俺を睨みつつ口をぷーっと膨らませている。
「なに膨れてるんだよ」
「別に~」
「俺が何かしたのか?」
「別に~」
 さっきからコレの繰り返しである。
 とにかくトレミーのご機嫌はナナメらしい。
 体中から不機嫌オーラを噴出させて隙あらば意味深な視線をチクチク向けてくる。
 別にそれ以上何をして来るというわけではないのだが、常に気まずい雰囲気が漂っていてなんだか神経を使う。
「言いたいことがあるならハッキリ言ってくれ」
 俺はついに辛抱堪らず、軽く溜息を吐いてトレミーに直接聞いてみる。
「じゃ、キスして!」
 ぱっと明るくなったかと思うと、トレミーはおもむろに目を閉じて顔を上に向け、唇を突き出す。
 見るからに柔らかそうにぷっくりと瑞々しく、薄い桜色の唇。
 そこに俺の唇が触れたら、どんな感触なのだろう。
「と、とにかく、今はダメだっ!」
「えー、なんで?」
 一瞬ちらりとよぎったそんな気持ちを振り切るように俺はトレミーから体ごと視線を外す。
「じゃあ、なんで委員長とはキスしたの?」
 それでもトレミーはぐるりと俺の前に回り込んで更にしつこく問いただしてくる。
「だーかーら、あれは『した』んじゃなくて、『された』の」
「じゃあ、起きてたらしなかったんだ?」
「も、もちろん」
 執拗なトレミーの追求に徐々に視線を横に逃がしつつ答える。あくまで俺は被害者なのだ。
 その返答に不十分ながらもトレミーはようやく納得したようで、質問をやめて何かを考えているようだった。
「だからって、寝込みを襲うのはやめてくれよ?」
 むぅ、とまた口を曲げたトレミーが俺を見上げる。図星かよ。
「ユークリッドはわたしとキスするのが嫌なの?」
「いや、そういう訳じゃないけど…」
「いーんだ。いーんだ。ユークリッドはわたしの事嫌いになっちゃったんでしょ?」
「誰もそんなこと言ってないだろ」
 すっかり拗ねてしまったトレミーをなだめるようにするが、もう感情のベクトルは違う方を向いたようで雲行きが怪しくなってくる。
「じゃあ、私のこと好き?」
「あ、ああ。…好きだよ」
 不安定なベクトルから藪から棒な質問が飛んでくる。
 その無邪気な視線を邪険にする訳にもいかず、俺は赤面しつつぶっきらぼうにそう答える。
 面倒なことこの上ないが、下手に機嫌を損ねられると何をしでかすか分からないからな!あくまで仕方なく!
 ああもう、朝っぱらから何をしているんだ俺は。
「でもでも、好きな人同士は朝起きたらキスするんでしょ?」
「そんなの誰に聞いたんだよ?」
「ほら、あのテレビとかいうやつで流れてたもん」
 今時そんなイチャラブシーンが有るドラマも珍しいぐらいだが、確か最近は大昔のメロドラマが再放送されていたのを思い出す。
 そういえばその時間帯だけピタリとトレミーが静かになっていたな…
「じゃあ、いつならいいの?」
 トレミーの蒼い瞳が俺を真っ直ぐ見つめる。
 その碧く済んだ虹彩の色と、その中心にある深い瞳。
「こういうのはだな…こう、お互い自然とムードが盛り上がってきてだな、自然な流れで…」
 退路を断たれ、それでもなおにじり寄ってくるトレミーにたじろぎながら、オーバーヒート気味の俺の脳ミソはそんなことを口から吐き出させる。
(ぷっ)
 そこに、いかにもこらえきれないといった風の意識が不意に俺の頭に響く。
 キッ、とその意識の方を睨むとベランダの塀の上で猫がクスクス笑うように顔を洗っていた。
「アルキメデス、今笑っただろ!」
(さあ、なんとことだか)
 気ままなもう1匹の使い魔は澄ました顔で俺達を眺めている。
「この前の学校だって、あれから大変だったんだからな!」
(おいおい、俺はご主人サマのネクラなイメージを少しでも良くしようと協力してやったんだぜ?感謝して欲しいぐらいだな)
「うるさい、余計なお世話だ!」
 そんな俺の怒気もさして気にする様子もなく、アルキメデスはさっさと塀の上を走り、ベランダから去っていこうとする。
「あっ、おい!ちょっと待てよ!」
 それを逃す物かと俺は慌ててアルキメデスを追いかける。
「ユーグリッド、キスぅ~」
 ちょこん、と一人取り残されたトレミーが思い出したようにそんな声を上げながら俺の後を追いかけてくるのだった。

 今朝もトレミーに罵声を浴びて悦に浸っている一蹴会の脇をすりぬけて俺は昇降口へ向かう。
 俺が片っ端から女子に声を掛けていたことは余すところ無く新聞部の木津に捕らえられており、早朝から配られていたウキ中スポーツには『生徒Tが突然の発情!片っ端から女子に声を掛けまくる!…そしてすべて撃沈』と一面を俺が飾っていた。
「はぁ…」
 誰か(恐らく木津だろう)がご丁寧に下駄箱に突っ込んでくれたウキ中スポーツの束をぐしゃっとまとめてつぶし、ポケットに詰め込む。
 外とは裏腹に昇降口はすこし薄暗い。
 だが、この溜息の理由は俺がウキ中スポーツの紙面を飾った事だけはない。
 俺ははるかになんと声を掛ければいいのだろうか?
 昨日、はるかのおしりを触ったのもアルキメデスのバカだが、そんなこと当然知らないはるかは俺自身がセクハラ行為を働いたのだと思っているに違いないのだ。
 昨日はトレミーの術式を導入してからはすぐに眠りに就いてしまったので、はるかに電話することも出来ず、今朝も昨日同様お祭りの練習ではるかは迎えに来なかった。
 そのためにあれは俺じゃないと言い訳することも出来ず、なんとなくそのままズルズルと時間が過ぎてしまっていた。

「はるか、すまん!」
 放課後、下駄箱の並ぶ昇降口ではるかを待ち伏せし、とにかく勢いに任せて頭を下げる。
「ゆーくん…」
 はるかの口から俺の名前を聞くのも本当に久しぶりに思えた。
 ただ、それはいつもの凛と澄んだ声ではなく、どこか迷うように震えていた。
「女子に声を掛けまくったのも、おまえのおしりを触ったのも俺が調子に乗ってたんだ。俺が悪かった!」
 俺は一気に捲し立てるようにそう言って、頭を下げる。
 そうしなければその震える遙かの声のことで頭がいっぱいになってしまいそうだった。
 もちろん一度頭を下げたぐらいで済むようなものだとは思ってはいない。
 それでも俺は謝るしかない。
「ううん、違うの…」
 まるで気圧されるように訊いていたはるかは戸惑いの表情を浮かべるだけだった。
 思わず顔を上げた俺の視線とはるかの視線が絡まるが、それはすぐに解けてはるかは何もない床を見つめる。
「…ごめん」
 その謝罪の言葉の意味を掴みきれないまま、立ち尽くした俺は廊下の角に消えるはるかの背中を見送ることしかできなかった。


「はぁ…」
 その後一日何をしたかも曖昧なまま、気がつけば家に戻り自分の部屋で溜息を吐いていた。
 ああもう、なんでこんなに追い詰められてるんだ、俺。
 いつもは騒がしいトレミーも今は隣の部屋でぐっすりと寝ている。
 ノエルの魔術により俺とトレミーの契約からエーテルを供給できるようにはなったが、その総量はカルネアデスとの契約によって供給されていたものに比べれば圧倒的に少なく、長時間の行動は厳しいらしい。

『私はゆーくんが好き』

 昨日のトレミーな俺に言ったはるかの言葉が思いがけず脳裏を過ぎる。
 俺はその真っ直ぐな気持ちを受け止めることが出来るだろうか。 
 ふと、俺の中ではるかを探してみる。
 霞野 遥。はるか。
 ちょっと思い浮かべるだけで次から次へとはるかの顔が浮かんでは消えていく。
 泣いていたり、怒っていたり、笑っていたり。
 その顔も幼い頃からつい最近の物まで、時間も表情もバラバラだが次から次へと止めどなく心の奥から溢れでてくる。
 そういえば、初めてあったのはいつだっただろうか?
 もう随分幼い頃だったと思う。俺の覚えている一番古い記憶でも俺ははるかと一緒に遊んでいたような気がする。
 
 俺はどうなのだろう?
 
 とりえあえず嫌いではない。それは間違いない。
 たしかに世話焼きが鬱陶しく感じる時もあるが、それだって拒絶するほどではない。
 ―――では、好き?
 YES。と言ってしまうには、まだどうしても気恥ずかしい気がする。
 はるかが好きということは、はるかを彼女にしたいということで。
 ゆくゆくは結婚して、子供が出来ちゃったりして…
 子供が出来ると言うことは…
「あああー!」
 ブンブンブン!と俺は頭を振って暴走しかけた頭をリセットする。
 全く、何を考えているんだ俺は。
 憑依して実物を見たことがあるだけに想像もやけにリアル…
 ブンブンブン!もう一度リセット。
 そりゃ中学生男子、想像力は半端無い。もう困るくらいだ。
 だが、なぜか神聖な物を傷つけてしまうような、日常を壊してしまうような気がして、どうしてもリミッターが掛かってしまう。
「何だよ、脅かすなよ!」
 はるか自身は『ゆーくんが好き』だとして、俺自身はどうなのだろうか?
 はるかが好きだと言ってくれる俺は、どの俺なのだろう?
「あのー、もしもし?」
 まあ、自分でも顔はイケメンまではいかないまでも、そこそこ悪くないと思う。
 特にクォーターの強みか周りのヤツに比べるとちょっとだけ鼻が高いのが自慢だ。
「聞いてるかー?」
 にゅっ、と目の前にアルキメデスのドアップが出現する。
 いつのまにか考える事に集中していた俺はアルキメデスからの呼びかけに全然気がつかなかったようだ。
「な、なんだ、アルキメデスか…脅かすなよ」
「それはこっちの台詞だっての」
 アルキメデスは呆れたようにそう呟いたかと思うと、打って変わって興味津々な笑みをこちらに向けてくる。
「なんだよ、ガキがいっちょまえに恋煩いか?」
「だ、誰が!」
 慌てて否定するが、あからさまな狼狽振りにこれでは肯定しているのと変わらない。
「オメーはあの子のことどう思ってるんだよ?」
 アルキメデスにもそれはお見通しのようで更にニヤニヤと嫌な笑顔を浮かべて俺の顔を見上げるようにしてくる。
「はっ、まったく人間てのは面倒くせーな」
 俺が反論の一つもあげないうちにアルキメデスは呆れたように顔を背けてやれやれといった感じで呟く。
「オマエもあの娘の事好きなんだろ?『俺もおまえが好きだ!』でラブラブハッピーエンドでいいじゃねぇか?」
 それが出来れば苦労はしない…というか俺がはるかを好きな前提で話が進んでるし。
 まずは俺がはるかをどう想っているってことが重要なんだよ。
「つまんねー意地なんか張ってないでよ、もっと素直になれよ」
「猫といっしょにするな」
「どう違うってんだ?人間も動物だろうが!」
 アルキメデスの無遠慮な言葉にカチン、ときた。
「うるせー!猫畜生が!」
「なんだよ!ネコが心配してやってるってのに!」
「余計なお世話だ!」
 売り言葉に買い言葉。もうここまでくるとお互いに収集がつかなくなってしまう。
「猫は猫で大変なんだぞ!縄張りとか!」
 猫としてのプライドに傷を付けられたアルキメデスがムキーと毛並みを逆立てる。
 その尻尾の根本にもう一本、淡く光を放つ尻尾が現れたかと思うとその光がアルキメデスの全身に広がっていき、ぐんぐんとその大きさを増していく。
 あっというまに人の大きさになったその光が収まったかと思うと、そこにははるかの姿が現れる。
 霊媒物質を使ったアルキメデスの変身なのは明らかだが、今日一日しっかりと見ることが出来ないでいるはるかの顔に思わず視線が吸い込まれてしまう。
「わたしぃー、ゆーくんのことぉー、大好きぃ~」
 そのはるかがクネクネと科を作りながら、いかにも軽そうな台詞を囁く。
「やめろ!」
 はるか本人ならば絶対にしないようなその仕草に俺は強烈な違和感を覚え、それが嫌悪感へと変わっていく。
「やーん、ゆーくんのえっちぃ~!」
「だからやめろっての!」
 俺の抗議の視線も全く意に介さず、そればかりか一層悪ふざけを増したアルキメデスははるかの姿のまま、両手で胸と大切な部分を隠して恥ずかしそうに壁の方へ体を捩る。
 それでも視線はこちらに向けたまま、ふりふりと形の良いおしりを振っている。
 なんだか、中身がアルキメデスだと知ってると逆に萎えるな…


 結局その後もよそよそしい日々は続いた。
 俺は相変わらず何も出来ないままで、気がつけば終業式も終わり明日からはとうとう夏休みだ。
 クラスのやつらは待ちに待った長期休暇に心を躍らせていたようだが、俺はそんな気分には到底なれなかった。


「おおっ、ベスト更新!」
 ようやくたどり着いたゴールの小さな神社の鳥居を通り抜けると、その傍らにいたノエルが感嘆の声を上げる。
「これはちょっと褒めていいレベルよ」
 その様子に俺は少し得意げな気分になるが、それ以上に酸素に飢えて悲鳴を上げる肺の苦しさに耐えかねてそのまま地面に倒れ込む。
 俺はただがむしゃらにトレーニングに打ち込んでいた。
「前言撤回。全力使い切ってどーするの?今なら小学生でもあなたを倒せちゃうわよ?」
 仰向けで大の字になり、夏の日差しが輝かせる木々の緑を体温が下がりきらずのぼせた頭で何を見るでもなく眺める。
「繰り返して標準化するのが目的なんだから、いちいち全力使い切っちゃダメっていったでしょ?」
 はぁ、と溜息を吐きながらノエルは肩を落とす。
「ベストを更新するのも大切だけど、決めたセット数をこなすことも意識してよね?」
 手元の携帯端末になにか入力しつつノエルは更に続ける。
 カルネアデスの追撃が無いとはいえそのあたりの動向についてもノエルはいろいろと調査を進めているらしい。そのためにノエル自身も何かと忙しいはずなのだが、なんだかんだいってこうしてトレーニングにつきあってくれている。
「どうして俺達にそこまでしてくれるんだ?」
 ようやく呼吸が落ち着いてきた俺は涼しい顔で携帯端末をいじっているノエルにそう声を掛ける。
「んー、それが仕事だからよ」
 携帯端末から目を逸らさず何事でもないようにノエルは答える。
「仕事・・・《ヘルメティカ》だったか?」
 俺は以前耳にしたノエルの所属しているという組織の名前を挙げた。
「そう。正式には《ヘルメス統一魔術協会》。ヘルメス主義に則り世界を満たすエーテルの管理運営と魔術師秩序の安定。そして真理への到達を目指して組織された魔術師協会」
 俺の質問に対し、ノエルは滔々とそう答える。
「まあ、わたしはあんまり堅苦しいのは好きじゃないんだけど。まあ、黄金の夜明け団とか薔薇十字団みたいなところと言えば分かりやすいかしら?」
「ああ、そのあたりなら知ってる」
 オカルトに触れたことのある者なら大抵は知っているメジャーな秘密結社の名前を挙げられて俺も頷く。
「あそこらへんとはまた方向性がちょっと違うんだけどね」
 そう付け加えるノエルの口ぶりからすると、本当にその二つの秘密結社は存在するらしい。
「エーテルの解析に関しては私たちのほうがちょっと進んでる感じかな?」
「エーテル…」
 ノエルの台詞を反芻するようにもうすっかり聞き慣れたその言葉を改めて俺は口にする。思えばその存在を知ったのは祖父から譲り受けた〈ラプラスの書〉を解読することで俺はその存在を知った。
「『光を伝える物質』ってやつか?」
 未だ科学が未発達だった時代、先人達は音が空気の振動であるように、光はこの世界を満たす『エーテル』と呼ばれる物質の振動であると唱えたのだ。
「へぇ、よく勉強してるじゃないの。まあ半分正解ね」
 俺の回答が予想外だったのか、ノエルは感心したようにそう答える。
「『エーテル』はこの世を満たし、世界を動かす概念よ」
 木々のざわめき、風のうななき。
 炎のゆらめき、水のささやき。
 目には見えないけれど、確かそこにある『何か』。
 その流れによって世界は刻々と変化し、過去から未来へと流れていく。
 と、いうのが確か《ラプラスの書》の前文に載っていたはずだ。
「でも、その『エーテル』っていうのは実験で存在しないっていうのが証明されているんだろ?」
「表向きはね」
 ノエルは含んだ笑みを返す。
「それに、厳密にはその『光を伝導する物質』という意味でのエーテルとは違うわ」
「そうなのか?じゃあ、一体…?」
 ノエルのその意味深な言葉に思わず俺の好奇心が疼き、知らず知らずのうちに持てる知識を総動員して自分なりの仮説を立てようとする。
「まあ、エーテルについてはそれだけ知ってれば十分よ。あとは習うより慣れろね…じゃあ、次のセット、始め!」
「え?…おう!」
 突然の休憩終了の合図に俺は一瞬戸惑うが、次の瞬間には体が自然とコースへと駆け出していた。


「はぁ、はぁ、はぁ…」
 再びコースを一周し、もとのスタート地点へと戻ってくる。
 だが、このセットは倒れ込むほどまでの消耗はしなかった。
 タイムは先ほどより遅いがこれだけの余力を残してならば十分な結果と言える。
 ようやくペース配分が掴めてきた証拠だ。
「ふふ、なんだか楽しそうね」
 不意にノエルがそんな風に声を掛けてくる。
「まさか…と、言いたいところだけど、実は最近トレーニングが楽しいかもって感じてきてる」
 普段は帰宅部に所属して体育の授業以外では全くと言っていいほど体を動かさない生活を送っていた俺にとっては、始めた頃は本当に苦痛でしかなかったが、
 今では少しではあるがエーテルを流入させることが出来るようになり、確かな達成感を覚えるようになっていた。
「…ただ、無理のしすぎは良くないわよ?」
 ノエルにそう言われてはっとなる。
 俺はきっと重くまとわりつく何かを振り切ろうとしている。
 それが何なのか全く分からず、見えもしないが、とにかく今は目の前にある物を全力でぶちのめしたい気分だった。
「何かあったのかね、少年」
 未だ意気が整いきらない俺がその声に顔を上げれば、ノエルが何か得意げに俺に視線を向けていた。
「別に…」
 それでも俺はその瞳に答えることをしなかった。
 心の中の固い何かが喉につっかえている感じがする。
「あなた、明らかに無理してるわ。自分でも分かってるんでしょ?」
「…」
「ま、何が原因かは想像つくけどね。本当に困ったときはおねーさんに相談するのよ?」
「…」
 微妙な空気が立ちこめ、押し黙ってしまった俺とノエルの間に蝉の声だけが取り残されたように響いている。
「…ねぇ、ユークリッド?」
「今度は何だよ?」
「あなた、《ヘルメティカ》に来てみない?」
「え?」
 あまりに唐突なことだったので思わず聞き返していた。
 特にここ最近はトレーニングに集中していたからそんな考えなんて思いも付かなかったが、
 今まででも十分にノエルが魔術師としての技術を持っている事は分かっている。
 それもすべて《ヘルメティカ》で習得した物だという。
 もし、俺もその組織に属することが出来ればより高度な魔術を体得出来ると言うことなのだ。
 なにより、俺の中で未知の魔術というものへの好奇心が疼きを上げるのがはっきりと分かった。
「ま、今すぐにとは言わないわ。まあ、考えておいて…はい、じゃあ次のセット。始め!」
「…っ!、おうっ!」
 ノエルのその声で反射的に体が動き出し、慌てて走り出しだす。
 もうすっかり慣れてどこをどう走れば速く走れるのかは分かっている。
 そのま、ぐんぐんとスピードを上げる。
 俺の奥底に微かにではあるが熱い何かが芽生えた気がした。
 
 ようやく一日分のメニューをこなし、俺とノエルは家路につく。
 連日のトレーニングで
 キキキ、と遠くで蜩が寂しげに鳴く声をなんとなく聞きながら、鉛のように重くなった体を部屋のベッドに横たえる。
 
 微睡む意識の中、遠くでルルルル…と電話が鳴る。
 未だ重い体を起こすのは非常に億劫だが、母さんが帰ってくるまでにはまだ時間があるし、ノエルが電話に出るわけがない。結局、電話番は俺の仕事だ。
 さすがに居留守を使う訳にはいかず、だらだらと起き上がって俺は受話器を取った。
「おう、ユウ!夏休み楽しんでるか?」
 疲れた体には元気の良すぎる声の主は加路だった。
「なんだ、オマエかよ…」
 久しく聞いていなかった加路の声がなんだかいままでの日常から、自分の巻き込まれてしまった状況との距離を感じさせる気がして余計に気が滅入った。
 べ、別にはるかじゃなかったからがっかりしたとかじゃないからな!
「なんだとは何だよ!人が電話してやってるって言うのに」
「はいはい、で用件は?」
 俺のぞんざいな態度に気分を害した加路が抗議の声をあげるが、構うことなく俺は話を続ける。どんな用件かは知らないがこれからまだ夕食の支度などをしなくてはならない事を考えるとさっさと片付けてしまいたかった。
「ま、いいさ。で、行くんだろ?霞野神社の大祭」
 加路のその言葉にはっとした。
 そう、明日は霞野神社の例大祭だったのだ。
 そんなこともすっかり忘れてしまうほどに余裕が無くなっていたことに今更ながらに気付かされる。
「…ああ」
 深く考えることもないまま、そう生返事を返す。
 一瞬はるかの事が頭に引っかかったが、「気まずい」というだけでは断るまでの理由には出来ないし、むしろ好都合じゃないかとムリヤリ自分を納得させる。
「じゃあ、明日の10時に鳥居前集合な」
「ああ、分かった」
 その後も適当に加路と話した後で受話器を置く。
 丁度明日はノエルも忙しいとかでトレーニングの合間の休息の時間に充てていた。
 ただ、夕方からは合流して欲しいと頼まれていたのでそれまでだが、大祭を見て回るには十分な余裕がある。
 気がつけば夏休みが始まって既に何日も過ぎているのに、そのほとんどをトレーニングに費やしていた。ノエルの行っていた通り少し根を詰めすぎているのかも知れない。
 この大祭を良い気分転換にしようと決めると、俺は残りの家事を一気に片付けてしまうべく階段を下りて台所へと向かった。


 翌日、なんとなく朝早く目が覚めた。

 いつもは日頃のトレーニングの疲れで昼前まではベッドから起き上がりたくないくらいなのだが、ようやく体が慣れてきたのだろう。
 時計はまだ6時を少し過ぎたあたり。
 もうすっかり日は昇って部屋の中は十分に明るい。
 チュン、チュン。
 今朝も雀は元気に鳴いている。
 チュンチュン、ピー。チュンチュン。
「・・・」
 俺はすくっと立ち上がって、そっと窓を開ける。
 ベランダから見下ろした先、玄関のところ。

 ――いた。

lap6_4.jpg

 俺に気づくと、はるかがにこりと笑った。

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